無題

お笑い芸人になりたい。

 

番組で当意即妙な返しをして、ひとを笑わせたい。

キレのあるツッコみで場を沸かしたい。

他人の思いつかないボケで爆笑を起こしたい。

 

でも、芸人になれる人なんか多くはない。

そりゃ、養成所に入って、どっかの事務所に所属すれば、お笑い芸人にはなれる。

でも、なったところで、上にあがれるか分からない。

視聴者として傍から見てるだけで、いまの芸人業界を勝ち上がるのは簡単じゃないことはわかる。

仮にTVに出れるようになったとしても、定着するのは難しいだろう。

現実的に考えれば、お笑い芸人なんて実現不可能な夢でしかない。

そんなことは誰にだってわかる。

 

それでも、やっぱりお笑い芸人になりたいという気持ちは頭の中にずっとある。

善悪の基準

魚5000匹冷凍スケートリンクが批判され、謝罪、中止となってしまった。

 

まあ、冷静に考えてみれば猟奇的っちゃ猟奇的だし、気持ち悪い。

命を粗末にしているとは思う。

企画段階で止める人がいなかったのかと不思議に思う。

 

 

ただ多くの人はこうした問題が一つの具体的事象として、

話題になり目前に現れないとその善悪を判断できないようだ。

 

具体例をあげるのはめんどいのでやめとくけど、

類似の問題なんていくらでもある。

 

噛みつき易いものにばかり噛みついて他は見て見ぬ振りっていうのは

少々、身勝手が過ぎる気がする。

自分 中学入学まで

平成4年生まれ。

幼稚園年少時に岩国市に引っ越す。

近所の子たちとは違う少し離れた幼稚園に通う。

年少から小学2年生までピアノを習う。

年長から小学2年生までスイミングスクールに通う。

両方とも姉のついでに習わされた。

 

小学2年生のとき広島県安芸郡に引っ越し。

これを機にピアノをやめる。

岩国の友達の影響で、地元少年団でサッカーを始める。

サッカーチームの年上(いまではほとんどみんなヤンキー)に可愛がられる。

小学3年・4年ともに学級委員を務める。

選挙に立候補し、5年・6年で児童会(生徒会)役員になる。6年生では委員長。

目立ちたがりかつ、自分が能力のある人間だと思っていた。

小学5年生の秋、サッカーチームの6年生の万引きがバレる。

仲良くしていたため自分も経験があり、発覚を恐れる。

また、この時期先輩たちが部屋にエロ本をもって来て、俺に隠させていた。

 

5年生春に中学受験に向けて家庭教師をつけられる。

しかし、成績が上がらず、家庭教師をやめ、塾に通い始める。

まだまだ新興の塾であったため、中学受験コースは、入った時点では2人。

サッカーチームの友達を誘い、ともに受験に向けて勉強する。

模試ではBとCの間くらい。

広島で中学受験をするとなると、トップは広島学院、次点で広大附属、そして修道という感じ。

試験結果も上の順に発表され、友達(岩国時代の友達と塾の友達)は広大附属に合格。

ひとり落ちたことにショックを受け、修道の合格発表には行かなかった。

が、修道に合格。中高6年間を男子校で過ごす。

 

 

2016/11/12

太宰治「斜陽」を読んだ。

 

平々凡々な家庭に生まれ、なんだかんだと京都大学なぞに入学し、

いまや五回生NNT(無い内定)というくそみたいな自分。

 

華族に生まれ、戦中戦後の時代を苦悩しながら、くそを演じながら

生き、自ら命を絶った直治という人物。

 

時代が変わっても、境遇が違っても、それぞれの人間に生の苦悩がある。

 

 

「自由に」「個性を大切に」「自分らしく」生きる。

本気でそれが出来る人間は、天才かただの馬鹿かのどちらかだろう。

共通して言えるのは、他者の感情が理解できない、共感できない、ということ。

 

そんな人間に憧れながら、今日も苦悩して生きる。

苦悩したからと言って、何かがいい方向に動くわけでもないのに。

 

 

自分の性質が悪いのは、苦悩しながらも行動に移せないことだ。

他の人も苦悩しながらも行動をとって、人間生活を送っている。

それは、大学で単位を取るとか、就活をきちんと乗り切るとか、

あるいは、サークルや部活、他の学外活動(学生団体や留学etc.)とか。

そうしたことを人並みに出来る人間を尊敬し、また、軽蔑する。

それは、自身にも他者にも嘘をついているような気がするから。

 

最近、ぼーっとする時間があると考えるのは、「殺す」ということ。

自分以外の全ての存在が自分より価値があって、価値がないと感じる。

ああ、病んでるな。そんな風にも思う。

病んでるのは自分なのか、世界なのか。

どちらにしても地獄だ。